石垣島トライアスロン2013

2014年に石垣島で新しく仕事を始めることにしたため、ここはやはり参加すべきと考え2012年秋に石垣島トライアスロン2013にエントリー。アキレス腱再建術後初のトライアスロンになるはずだし、ワクワクしながらエントリー。昨今のトライアスロン人気のため今年から抽選らしい。

12月、果たして落選が決定してしまった。結構ショックだったが落ちたものはしょうがない。諦めて忘れた頃にHISからメールが来た。枠が余っているから出ませんか?と。
内地からの値段ばかり載っていたので、那覇からの料金を尋ねると7万円台の返答。目茶苦茶高いが、これから住むところの大会ということもあり出場を決定。

4月13日 朝一便で那覇を発つ。トライアスリート結構乗っているみたいだった。3月初めに痛めた膝も不安だが、2週前から治らない咳が最大の問題だ。ギリギリまで静養して大会に備えてみることにする。

新空港からはタクシーでハイパーホテルへ向かった。9時過ぎには着いていたが当然チェックインには早すぎるため、荷物を置いて朝食食べにふらふら出かける。コーヒー飲みたかったけど、目についたエンダー入店。読書もしつつ時間をつぶす。11時過ぎにはホテルに戻り暇に任せて、自転車組み立てし、問題なく完成。

お昼は730交差点のそば屋で八重山そば。少し早くチャックインでき読書で時間をつぶす。ゆるゆる用意してバイクで受付に向かい競技説明会に出た。八重山病院の上原医師が責任者らしく過去の事故事例を詳しく説明されておられた。事故が起きて欲しくない気持ちが強く伝わってきた。にもかかわらず翌日の大会では残念ながら死亡者が出てしまったが・・・

久し振りに枕崎のバーバラに遭遇。癌を乗り越えより成長したトライアスリートだ。生きていることに感謝ということで意見一致。お互いの健闘を祈る。

体を冷やすと咳が出るため、本番前の試泳は無理と判断。本日夕方に試泳時間があるというのでホテルから裸足で向かう。アキレス腱手術以来スイムなんか1kmも泳いだことないし、まして海で泳いだこともないので不安なのだ。水は冷たかったが泳いでみれば、なんということもなかったので軽く泳いでさっさと引上げた。

夕方は最近お気に入りのそば屋「がちま家」で木灰そば。薬を飲んで9時には就寝してしまった。

4月14日 6時過ぎにすぐ側のトランジションエリアに道具を移動。久しぶりなのでいろいろ忘れそうだったがなんとか準備完了。ホテルで軽く食事を入れゆっくりする。ホテルが近くてとても便利だった。7時半に会場へ向かい、海には入らず人ごみの中で体が冷えないように過ごす。なんとか咳発作はおさえきれている。

小雨の中、セレモニーもつつがなく終わり第一ウェーブスタート。charlieは第8ウェーブ、8時21分スタートとなった。咳が出ないようバトルしないよう右端中盤くらいからのんびりスタート。

バトルもさほど気にならず、自分のペースで泳ぎを思い出しながら淡々とこなした。使い古しの水中眼鏡がやたらと曇り、ヘッドアップでの方向確認はちょっとやりにくかった。大きな咳発作も出さずにスイム完了。体調の悪さから考えれば上出来である。

こうしてみると禿げが際立つなぁ・・・

トランジションエリアまで少し距離があるのがこの大会の特徴だ。300mくらい裸足で走る感じかもしれない。巨体を引きずりノロノロと走る。

バイクを降ろし慎重にスタート。走り始めは膝もさほど痛まないので順調な滑り出し。踏まずに回す意識で息が上がらないレベルで走る。最初は平坦が続くので余裕ある。気持ちよくすべて抜いていく。途中からのアップダウン区間に入ると登りで抜かれることが多くなる。バイクでは10数人に抜かれたと思う。そんなに悪くはないはずだ。

トランジションにもどり、座り込んで靴下をはきランスタート。さぁここからはでぶでぶ本領発揮区間だ。まず、腰が相当痛い。脊椎分離症の影響はかなりあるはずだ。なるべく小股でゆっくり走る。完走が目的だ。いつものことだが4kmくらいから腰の痛みに慣れてくる。今度は右膝が本格的に痛み始めるが、沿道でサロンパス持っている人にスプレーしてもらいつつ走る。6kmくらい行くと、完走できる確信が持て、わずかだが速度アップ。ものすごく遅い人で走力が近い人を見つけ追いかけていく。

そして、ついにゴール。感動はないが、走り切れた安堵はある。わざわざここまで来てDNSやDNFは悔しい。とにかくよかった。ゴールして動かなくなると、体が冷え咳がひどくなりだす。走っている間はなんとかもった感じで、終わりよければすべてよしである。

総合547位
3:07:28
スイム0:34:35 340位
バイク1:25:47 302位
ラン1:07:06 901位

BACK