2010年 4月16日 約1年ぶりに宮古空港に降り立つ。1991年から1993年にかけて仕事のために平良市に住んでいた後は、昨年ツール・ド・宮古島に参加するまでほとんど来たことがなかったくらいである。(厳密には多良間で釣りをするのに寄ってるのだが)

1992年の宮古島トライアスロンにはボランティアとして参加した記憶がある。あの頃はトライアスロンなんて興味もなかったし、そんな長い距離を泳いだり走ったりするなんてバカバカしいと本気で思っていたので、せっかくの日曜日をボランティアでつぶされるのが腹立たしかった記憶がある。それでも、死力を尽くしてゴールしてくる選手を見ていて、こんな世界もあるんだなぁとぼんやり思っていた。それがいつしか年月が過ぎ、まさか自分が選手として宮古島に戻ってくるなんて、人間なんてわからないものである。そしてボランティアの重要性を思い知ることになるのである。

宮古空港には一足早く島に入ったはにおが迎えてくれた。まずはなにより受付ということで体育館へ向かう。あたりにはパワースポーツを始め多くのブースがテントを建てている。賑やかな印象だ。スムースに受付はすんだが、大会終了した後に、翌日の一便で帰るためにバイクの代理受け取りを依頼したら、どうも代理受け取りは絶対ダメと言うことで本部に連れて行かれ結構時間かかった末に、ゴール後に許可証を得て本人が返却してもらうように言われた。

それから、ばっしらいんでばっしらいんそばを頂いた。上に乗ってるてびちが結構旨い。さすがにビールはなしだ。それから、自転車を受け取りにくるくるへ。今回は帰りの梱包も自分で出来ないので、くるくるの配送サービスを利用したのだ。すでに組みあがっていたが、サドルをまずフィジークに装着し直した。それからパンク防止剤を入れようとしたが、僕のタイヤは芯が抜けないらしく不可能なことが判明した。これでいよいよパンク対策をしなければならなくなった。サドルの高さはとりあえずBBから73cmにセットしておいた。結果からするとこれは少し低かったようである。大まかに調整し、セイルイン宮古島に着いた。今度ははにおのバイクを取りに行って、これもすんなり終了。

2時までチェックイン出来ないとのことで、時間が余っているのでランコースを下見に出かけた。城辺方面に向かう道は緩やかな登り基調である。保良の手前で一気に下る坂がある。保良で折り返すと同じ道の帰路なので、坂を上った後は緩やかな下り基調なのである。フルマラソンのはずだがなんだか短く感じた。

はにおの奥さんmikiちゃん親族にさばくってもらった横断幕がランコースに張り出されている。はにおに至っては宮古新報の前にも手作り写真入り横断幕が張り出されていた。

夕方、はにおと少しバイクで流してみた。悪くない感じである。

夕方はワイドーパーティーなるものが体育館で開かれたが、各テーブルは入る隙間がないほど人で埋め尽くされていた。競技説明会はサラリと終わり、いろんな挨拶の後に乾杯である。コズリナ選手の宣誓は報道陣も凄かったな。あっという間に食べ物はなくなり、ちょっと物足りない感じでホテルに戻った。もちろん酒は飲まないので、マックスバリューで買った炭水化物を加えつつ眠りに落ちた。

4月17日 午前中は沖縄からの私設応援団を迎えに行く。そして、くるくるでタイヤへらを買い、またしてもばっしらいんでばっしらいんそばを食した。ここから別行動で、charlieはメイクマンにへらの加工に行った。店員さんに旋盤を貸してもらってへらの加工も上手い具合にすませ、郵便局にお金をおろしに行った時、大事なかばんをメイクマンに忘れたことに気がついた。全財産とカード類が入っているかばんなので即盗まれているだろうと思ったけど、電話連絡して見せに戻ったら、無事に見つかった。本当に助かった。

午後から自走で東急リゾートへバイク預託に向かう。しばらく運動を封印してたので力は余っている感じだった。会場はすでに熱気に包まれていた。


ちょっとcharlieの格好がエッチっぽいと指摘されたが、言われてみればそうかも・・・

ビーチではスイムの練習に励む人もかなりいた。はにおも泳いでいたがcharlieは左肩が痛むのでパス。ひたすら温存派である。

その後はレンタカーを連ねて、バイクコースの下見とチョットだけ東平安名崎観光してみた。今年から新しくコースに加わったインギャーの坂は結構きつそうだった。

夕方は西里ののむらで、ノンアルコール夕食。カーボローディングな締めというところですね。

4月18日 3時15分目覚ましよりも早く起きる。昨日は9時過ぎには床に就いたが2時過ぎくらいから何度か目覚めていた。水分を摂りテーピングを施し3時半から朝食を摂った。酒を飲んでないためうんこは出ない。4時15分には宿を出て市役所前に行くとすでに1番バスに人が乗っている。続いて乗り込むと程なくして満席になり4時25分には出発したのであった。

真っ暗な中早々と東急リゾートに到着し、暗がりの中でバイクセッティングをした。この時気づいたのだがヘッドランプは必須である。どこの便所も人が並ぶのでウォッシュレットの在処を確認しておくのは大事かもしれない。東急泊だと便利だよな〜〜〜

白々と夜が明け応援団も到着し、いよいよウェットを着込む。気合いも入ってきたところでふと気づいたのだが、トライパンツの下にブリーフを着て来てしまったのだ。慌てて着替え直していざスイムチェックイン。

意気揚々とビーチに出て、いろんなカメラマンに写真を撮られる。スタート位置に着く前に軽く泳いだら、背中で何かが震えている。なんと携帯電話だ。これまた慌てて取り出すと、すでに水没していて液晶は真っ暗でただ延々とバイブし続けるのであった。なんか縁起良くない出だしだった。

そして、いよいよスタート。なるべくバトルを避けるため大外から泳ぎ出す。しかし、1400人以上の人が泳ぐわけだからやっぱり大混雑。ちょっとぶちきれつつ腕だけで泳ぎ続けた。面ツルの海面は前半は追い潮で9ノットとのこと。道理でガンガンすすみ1700m折り返し地点で28分だった。ここからは向かい潮でちょっときつかったかな。あまりの人の多さにラッキーツリーなど見ることは出来なかったけど、さほど無駄な泳ぎでもなかったように思う。

バッグのところに行って着替えようとすると、着替えテントに行けと係員が叫んでいる。仕方なく着替えテント付近でハートレートモニターをつけようとするがこれがまたバカになっているのか何度やってもはずれるのである。本当に本番は上手くいかないものである。バイクラックのところでモニターを応援団に渡し、おしっこに並ぶはにおに挨拶して先にバイクの旅に出る。


いよいよ愛車P2との155kmへの旅のはじまり

出だしは少し追い風なのか調子が良くて、40km/hを超えて走ることも多く、かなり抜きながら進んでいった。


かなり風が強いのがわかるでしょ?

池間島を折り返したとたん向かい風となりどっと速度が落ちる。しかも、橋の端で「1280番」とか叫ばれた。たまたま前に入ってきたバイクのすぐ後方に位置していたので、すっかりドラフティングをとられたと思い意気消沈してしまったが、少し気を取り直してこぎだした。

ふと気づくと大腿四頭筋に痛みが出てきていて、力が入らない感じになってきた。まだ40kmくらいしか走ってないのににである。相当焦ったがペースを落としてなんとか堪えて走った。しばらくして、立ち上がって腰を伸ばすと痛みがなくなり力が入ることに気がついた。DHポジションがいけないことに気がついて、時々立ったり姿勢を変えることで対応できた。


あいかわらずの腹回りである

城辺あたりで私設応援団に遭遇。すかさずバイクから降りて痛み出した右足のテーピングをやり直す。この間にはにおがパスして行ったようだった。この距離で足の痛みが出ているのだから無理は禁物とペースを更に落として長丁場を意識するようにした。東平安名崎までは向かい風でしんどい行程だった。七又あたりではすっかりパワーダウンしており、課題のインギャーの坂もえっちらおっちら上っていった。最後のあたりで応援のおっさんが後ろから押してくれたりしてちょっと嬉しかった。この辺の順位の人はまぁご愛敬ということですな。

ちなみに、早めの捕球と言うことで意識してジェルを食べていたのだが、DHポジションのため腹が圧迫されているせいか、どちらかというと吐き気がしていて、なんとか4パックは食べたが、どら焼きはなかなかノドを通らなかった。

2周目にはいると右のDHバーの腕置きが下がっているのに気がついた。平良で2度目の私設応援団のところで工具を取り出し自分で修理を試みる。しかし、気ばかり焦って余計おかしな方向になってしまった。これはもうメカニックに頼むしかないと思い曲がったまま進むことにする。

この頃になると右足の甲の外側がかなり痛み、踏むことが出来ずダンシングなど全く出来なくなっていた。靴のベルトを強く締めて前方にけり出すようなペダリングに変えて対応していた。

池間島を折り返し、メカニックに飛び込むと「全部元通りにするのは時間がかかるし、あと20kmくらいだから腕置きだけ直してバーは曲がったままで行った方がよい」とアドバイスを受けて従う。再び向かい風でペースは激落ちだが我慢のペダリングで耐えてなんとかバイクフィニッシュを迎えた。バイクから降りると右足は激痛でびっこをひきながらバイクを押した。


最後まで頑張る

これはもうランは無理だろうなぁと思いつつバイクを押して係員に渡す。ランへの袋をもらって地べたに座り、両足にワセリンを塗り5本指靴下をじっくり履いた。新品のランシューズを履いて、いざ出発。びっこを引きながらだけど行けるところまで行こうと思った。なぜか予想ピッタリの2時ジャストにランスタートとなった。

会場出口のエイドでエアサロンパス見つけたのでもう一度靴下を脱いで右足の甲にたっぷりかけてもらう。そして走り出す。

今度はトライウェアに入れたフラスクが凄い勢いで揺れて走るどころではなかった。たまたま昔の職場で一緒だったと思われる女性が声をかけてくれたのでフラスクの処分をお願いした。昨日買ったばかりだったが、やはり実践で試せてないものは使えないね。フラスクはみんなベルトで固定して走っているようだった。そのグッズはこれから購入しなければ・・・

痛みはあるが色々な足の動かし方を試していると少しマシな方法が見つかったので、だましだまし走っていく。8分/kmでとりあえず行こうと決めて前に進む。宿前で私設応援団を見つけ、再度テーピングをやり直す。ついでに痛み止めも追加。mikiファミリーも横断幕ダンボールをもって応援してくれる。このあたりは応援も凄くちょっとうるうるしてくる。


横断幕ダンボールを持って父を応援しながら走る子

ここからはひたすら抜かれるだけの独り旅。完走めざしマイペースを心に誓う。テーピングと痛み止めが効いてきたのか、小股でちょこちょこ走るなら痛みはさほど気にならなくなってきた。トップの外人選手とすれ違う、なんという速さだ。日本人の活躍を祈りつつ前進する。10kmくらいまでは結構いい感じだったが、上り基調ということもありだんだんと苦しくなってきた。ハムストリングは張ってきているし、呼吸も結構キツイ。折り返しまでは歩かないと心がけるが15kmのあたりではすでに時々歩いていた。名前を呼ぶ人がいたので誰かと思ったらバイクを買ったお店の大塚さんだった。応援の言葉をいただき再度走り出す。

一応4時40分に折り返すという目標を持っていたのだが、少しずつペースは落ちていった。沿道の応援も切れることなく続くが、体は言うことを聞かない。じわじわと頑張る。途中、元気に走るはにおとすれ違う。「まだ4時間20分あるよ」みたいな声かけをしてもらう。

結局折り返したのは4時53分であった。もうこのあたりからは少しでも登ってると歩くといった具合で、逆算しながら体にむち打つ感じであった。エイドではスポンジで体を冷やし、コーラ、アクエリアス、水、黒砂糖で堪え忍ぶ。エイドの補給で次のエイドまで走るといった自転車操業状態である。しかも、ストレッチをしようとしたらすぐに攣りそうになるので、ひたすら決まった可動域のみで運動をくり返す。

市内に戻ってきた頃には日も落ちてスコールに打たれる。濡れた路面に空港の灯があたりアイアンマンハワイの映像とダブる。小学校の前あたりで1時間前の花火を横目に歩いたり走ったり下っていく。提灯の灯りが並ぶ町中を応援に押されて走る。曲がり角近くではまたしてもmikiさんファミリーに応援してもらった。わざわざ長い時間待っていてくれたのだろう。感謝である。

そして最後の陸上競技場までの上り、応援の途切れたところは歩き、応援のところは頑張って走る。それでも最後のあたりはもう気力だけで歩くのが精一杯だった。はにおが下まで降りてきてくれていて、少し併走してくれる。

そして、両側から応援の人が溢れだして狭くなったビクトリーロードを通ってグラウンドへ。

家族とそしてはにお&mikiファミリーに囲まれて最後のラン。そして感動のゴール。バタバタとタオルを掛けられメダルをかけられ完走シャツをもらい、芝生の上に倒れる。不思議と涙は出なかった。結構泣けるかと思っていただけに自分でも不思議だった。

記念撮影を終え、はにおに手伝ってもらいながらバイクを回収。ただ、暗闇の中バイクを持って帰るためのライトを持ってなかったのは失敗だった。

まさに精根尽き果てた状態でのゴールではあったが、とにかくゴールした。ストロングマンの仲間入りである。タイムはともかく嬉しいことには変わりない。素直にゴールを喜びたかった。

なんとかバイクを宿に戻し、汚い衣類を脱いでシャワーを浴びると気分はより爽快となった。パッキングを少しした後、疲れてはいたが、応援してくれたmikiさんファミリーの会に出席させてもらい少し歓談させて頂いた。その後は部屋に戻り缶ビールをもう一杯頂いたが一貫して食欲がなく消耗の激しさが表れていた。

翌19日は7時過ぎに朝食だったが、まだ食事がノドを通らなかった。はにおにバイクをお願いして一足先に空港へ向かった。水没して何も書き込めていなかったので空港の端末から書き込もうとしていたら、1行目から泣けてきて目を真っ赤にしているところをmikiママに見つかってしまいバツが悪くてそのまま止めてしまった。

宮古→那覇は目がさえていたが、那覇空港でやっとソバがノドを通り、那覇→奄美便は爆睡で気がついたら奄美に着いていた。

午後一番で採血した結果は
CPK 13360
AST   351
ALT    80
LDH   555
γ-GTP 26

という衝撃的な値を呈しました。我ながらびっくり仰天です。トライアスロンって体に悪いんじゃなかろうか・・・・

大会から1週間経って、この文章を書いてます。少し興奮も収まり気持ちも落ち着いてきました。それでも、あの長い一日は忘れてしまうことはないでしょう。特に忘れられないのは応援のありがたさです。傍で応援してくれる家族や友人、そして距離は離れていても心で応援してくれる人達、たくさんのパワーをもらい完走できたと思っています。最大の感謝の気持ちでいっぱいです。

総合順位 1028位
総合記録 13時間07分48秒
スイムラップ 58分33秒 503位
バイクラップ 6時間00分55秒 691位
スプリット 6時間59分28秒 644位
ランラップ 6時間08分20秒 1180位

一つの大きな目標であった「ストロングマンになる」を達成しました。
生きている喜びがまた一つ感じられました。
みなさん、本当にありがとうございました。

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