7月15日 奄美→鹿児島→出雲とJAC便を乗り継ぐ。うまく前線をすり抜けて順調に出雲に降り立つ。連絡バスを使い松江に出て、JRで米子まではたった5駅だ。知らずに特急に乗ってしまったけど、普通で行ってもさほど時間はかからず特急代を払うのは馬鹿馬鹿しい距離だった。

米子駅前のハーベストイン米子にチェックイン。早速バイクを組み立てる。どこも壊れてなく順調に組みあがった。いちおう繁華街も見てみたかったので徒歩で朝日町あたりに行ってみたが、そそる店もあまりなく結局駅前まで戻ってきて、そこらの炉端でのどぐろを焼きで頂いたりした。

7月16日 天気はまずまず。朝一からバイクに乗って会場を見に行く。海沿いの道はジャリジャリしていてなんか嫌だな〜〜と思っていたら、いきなりタイヤから空気排出音が「プシュ〜〜〜」。やってしまいました。初のチューブラーパンク。道ばたに座り込み悪戦苦闘して接着なしでタイヤを付け替えた。ボンベも初使用だったが上手くいった。とりあえず、宿に戻ったが、予備タイヤや接着のことがあるのでどうしても自転車屋さんを探す必要あり。ホテルマンに聞いても知らなさそうだったので、はにおにもお願いしてネット検索してもらう。最悪東京からの輸送も考えていたが、市内にプロショップがあることがわかった。クワハラさんと言うところだ。早速電話して事情を話すと快く引き受けてくださった。暫く時間がかかると言うことだったので、便所そうりを借りてホテルまで帰り、着替えて早速出かけることにした。

本日の目的地は出雲大社。北海道の友人から散々素晴らしいと聞いていたので期待して出発。松江からバスで松江しんじ湖温泉駅へ。そこから映画「RAILWAYS」の舞台となった一畑電車に乗った。1時間に1本だから時間に余裕を持って出かける必要があった。田園風景を楽しみながら進めば、あっという間の1時間である。

出雲大社は夏の日差しですでにムンムンしていたが、境内に入っていくとパワースポットらしく荘厳な雰囲気があってなかなかよかった。ありったけのお賽銭でいろいろとお願いしたけど、聞いてくれるかな・・・。ソバやせんべいを食べながら寄り道していると、大粒の雨と雷がやってきた。神様を怒らせちゃったかな・・・

ホテルの近くの大吉で焼き鳥を食べていると、トライアスロンを巡って米子と皆生の間でもいろいろとあるような話をきいた。大会継続というのは大変なんだろうな。

7月17日 午前中はバイクコースの下見バスに乗り込む。2台のバスが用意されていたけどどちらもガラガラ。と言うことはこの大会はリピーターがかなり多いと言うことなのだろうか。トイレ休憩の時に大分のかぼす君に話しかけてみた。彼の活躍を期待したい。

午後はまず大会受付。その後、マークアレンや高石ともやといった重鎮達のトークショーから開会式、競技説明会と強制参加であった。それなりに意義ある話が聞けたようにも思う。その後、SATYに言ったらおにぎりなどすべてトライアスリートに買い占められていて無くなっていた。おそるべし。

夜はノンアルコールで本番に備えた。スペシャルドリンクも作成し、準備万端である。

7月18日 晴れ 4時半に目覚ましで起きる。メインのごはんはUFO&おにぎり。初の試み。起き抜けに食べるのにあじくーたーで攻めてみた。ウンコもばっちり。道具をすべて積めた大きなザックを背負い出発。会場はすでにアスリートで賑わっていた。鹿児島県からは3人。元プロサイクリストらしいフリーマントルマークさんとお互いを激励する。着替え袋を下げ、手荷物を体育館に預け、受付してタグを装着し入水チェックで河口の砂州スタート地点に入る。結構ぎりぎりな感じである。試泳をしてみたが、やはり水は冷たい。体が温まれば問題ないだろうと思われた。地元高校の放送部がアナウンスを担当していてキャピキャピした雰囲気である。マークアレンのインタビューなんかもあり盛り上がっている。

7:00 号砲と共に一斉にスタート。波打ち際から5mほど後方からのスタートで、みんなダッシュしている。中央部真ん中よりやや前気味でスタート。例によってバトルは凄いが淡々と耐え抜く。河口から離れるに従って水温は上がっていく。面ツルの海面は泳ぎやすいし波酔いもない。

海水浴客で賑わう中間地点をで一旦上陸し、再度入水。順調にスイムは泳ぎぎった。上陸してから後方をみるとさほど人は残ってない。後方集団に属しているものと思われたが、あくまでも完走狙いだし焦らずトランジッションエリアに向けて走っていく。

荷物バッグからヘルメットを取り出しかぶりサングラスをかける。ハートレートモニターを装着しジェルを4つポケットに入れた。靴はペダルに装着済み。しかし、この会場は泥が多く、靴は履いてからバイクを押した方がいいことが判明した。おまけにバイクにまたがる時によろけて、左足第1指の遠位部をすりむいてしまった。

踏むたびに左足の親指が痛むが気にせず進む。前半はぐねぐねした道だが概ねフラット。走っている台数も多くドラフティングするなと言われてもどうしても集団になってしまう。バイクから降りて地下道を走る道も越えた頃から少しばらけてきた。しかし今度は大山への上りが始まる。だらだらとした上り道、傾斜はさほどないが長い。軽いギアでくるくる進む。しかし、上りは徹底的に抜かれる。誰も抜くことはない。ひたすら抜かれる。体重のせいであろう。このあたりから思い知らされ始めていた。それでも大山パートを登りきったあとは70km/h近くの速度でダウンヒル。あっという間に麓に降りていく。

後半はひたすら登って下る。下りにガンガン踏めば惰性で結構登るので休む暇がない。それでも惰性が無くなるとひたすら抜かれる。後半のASでスペシャルドリンクをもらう頃にはすでに脚にきていた。信号で止まるたびに左足のビンディングをはずすので、走り始める時に右のふくらはぎが攣り始めていた。両足のハムも結構きてる。思った以上に脚を使ってしまったようだ。尻の痛みも100kmを超えると厳しくなる。ひたすら我慢して走りきった。

気温は35度近くまで上がっているようだ。トランジッションエリアのバイクはすでにいっぱいである。それでもゆっくりと用意する。右足は宮古の時と同じようにかなり痛むが、しっかりテーピングし直す。ゼッケンベルトで走り出そうとすると前面にもナンバーをつけろと注意され仕方なくつけ直す。

海水浴客でごった返す皆生温泉ビーチロードを走り出す。ビキニ姿のお姉さんも応援してくれる。しかし、問題は暑さだ。まさにてぃーだかんかん。
1kmほど走ったが、これ以上はもう無理のようだ。日陰を探しひたすら歩くことにする。まずASに着いてから次のことを考えることにした。最初の天満屋ASまで遠いこと。灼熱の太陽だし、走れないし、これはリタイヤかもと思い出した。ASで水分補給し体を冷やし、少し走るがやはり無理。走行してるとトップの人達が次々と帰って来る。信じられないスピードだ。僕はただただ歩くだけ。心拍も120/mくらいなのだが走れないのだ。暑さは僕にとって大敵のようだ。

そんな感じで最初の10kmの看板を見た時すでに16時半だった、2時間近く要している計算だ。もうリタイアした方が楽なのだろうが、脚がまだ前に出る分、諦められない。遥か遠くに見えていた半島先端の境港はなかなか近づかない。気は焦るが走れない。太陽が傾き始めちょこっと走っては歩きをくり返す。20km看板を見たのが18時15分。もしかしたら行けるかもしれないという僅かな希望が脚を前に進める。折り返したあとは8分/kmでなるべく走ることを心に決める。太陽もかなり傾き気温は確実に下がってきている。AS毎に大量の水をかぶり、氷を帽子に詰めて淡々と走る。頭の中では「あと3時間この動作をくり返すだけ」と思うことにする。靴もびしょ濡れであちこち擦れて痛いが、もうどうでもいい感じである。残り10kmで20時ジャスト。普段ならどってことない距離だが、この状況ではギリギリなのである。今回はかなり水分を摂っているせいか尿意もおまけに便意もあった。でももう失禁しようがどうでもいい気持ちになっていて、ただただ脚を前に進め続けた。残り3kmくらいになって確実に行けると思えてきた。このあたりになると孤独に走ることが多く、交差点毎に立っているマーシャルが励ましてくれる。ゴールのトラックに入る前の道は人気が無く、本当にコースなのか疑うほど寂しいがトラックに入ると宮古っぽい感じでアナウンスがガンガン流れている。偶然僕の前走者が皆生のレジェンド高石ともや選手だったので会場はヒートアップしていた。

そんな中、思いっきり独りで両手をあげてゴール。きつさが半端なかったせいか半泣きでのゴールである。冷たい麦茶をもらいながら、タグをはずされる。タオルを掛けてもらうともうそれで終了。独り芝に座り靴を脱ぐ。冷たい氷の入ったビニール袋をもらい、ビーサンに履き替え移動のバスを待つ。

ここから異変が始まった、バスがなかなか来ないので地面に座ってあちこち冷やしていた。なんかムカムカするけど吐くほどではない。そのうちバスが来たので乗り込む。最前列の席に座っていたのだが、次第に血の気が引くのがわかってきたしムカツキもある。そしてだんだん過呼吸になってくる。吐いたら迷惑なのでいちおう袋を抱きしめておく。でも、過呼吸は止まらない、止めれない。そのうち周囲の人が気づいてくれて、バスの床に横にならせてもらう。脚を上げてれば治るかと思っていたけど、なかなか変わらずそのうち誰かが救急車を手配していてくれた。たまたま近くに山陰労災病院があり、そこで下ろされて、二人のアスリートが付き添ってくれて救急に受け入れてもらうことが出来た。点滴しつつペーパーバッグリブリージング。四肢のしびれと呂律難も次第に改善したが、救急担当医の話ではクレアチニン3.5、eGFR16とか言っていた。大丈夫ですかと言われたが点滴1本でかなり改善したのでタクシーを呼んでもらってホテルに戻った。

無理矢理水分と麺類を流し込み横になったが、なかなか眠れずトータル4時間くらいしか眠れない感じだった。しかし、体調が悪化する気はしなかった。

翌朝は早くから起きて荷造り。7時過ぎには病院に戻り支払いをして会場に行くと、アスリート達がゴミ拾いをしていた。頭の下がる思いである。幸いマーシャルがいたのでバイクと荷物を回収させてもらった。のんびりとこいでホテルに戻りパッキング。

閉会式会場で完走証などもらっても、時間に余裕があったが、さすがに電車の予定があったので閉会式には参加不可能だった。そこから、岡山まで特急やくも、さらに新幹線で福岡まで。そこから鹿児島乗り継ぎで夕方には島に戻ることができました。移動にはほぼ1日がかりですな。

結果的には、皆生を完走することができ、満足いく遠征であった。ただ、バイクの上りでかなり抜かれたことを考えれば、体重によるデメリットは大きすぎると思われた。さらに、可能な限り水分を補給していたのだが、それでも脱水&熱中症対策は失敗だったことを考えると、現状の実力&体調では夏場の大会は無謀だという自己判断をせざるを得ない感じである。

タイム 14時間20分54秒 総合684位
スイム 1時間2分27秒 436位
バイク 6時間13分28秒 537位
スプリット 514位
ラン 7時間04分59秒 702位

とにかく、しばらくはゆっくり休んで、夏を満喫したいと思う。

BACK