第17回 おきなわマラソン

フルマラソン初チャレンジの巻

2月22日 朝から曇り空。雨はなんとか大丈夫そうな感じである。1週間前の2月15日にサーフィンのテイクオフで左膝関節内側側副靱帯断裂というたいそうな病名の怪我をしたcharlieはこの大会を諦めていた。だって受傷翌日の16日にはびっこでもあまり歩けなかったんだから。

それでも、他の靱帯は大丈夫そうだったので、テーピングしたらスタートラインにだけは立てそうな感じにまで回復してきたのだ。「今無理すると後で大変なことになるよ」とも忠告されたが、まぁ娘とも約束していたし、とりあえずスタートラインにだけはつくことにした。前日に買ったテーピングでアンカーからきちんと巻き、サポーターでだめ押しするという念入りさで装備した。

スタート30分前くらいに会場入りしてトイレに行こうとしたら、予想外に男性トイレの大の方が大渋滞。やっとすませた頃には娘とはぐれてしまった。そうこうしているうちに9時のスタートとなってしまった。

スタートの門のところで娘を捜していると、なんとか見つけることが出来て、薬10分遅れでゲートを出た。とにかく、まず走れるかどうかを確認することが大事なので、ゆっくり小股で走り出す。しかし、すぐに問題は発覚した。ふくらはぎがふくらむ時にテーピングが弾力がないために痛みが出るのだ。ここで、まずふくらはぎの外側を巻いているテーピングをはずす作業に入った。娘は先に行かせることに。もともと後方を走っていたが、テーピングをはずした頃には本当の最後尾付近になってしまった。まぁもともと走れない可能性を考えていたので、気楽にのんびりと走り出した。沿道に人達も後方ランナーが通る頃にはちょっと飽きた雰囲気だった。それでも応援してくれれば嬉しいね。

泡瀬の埋め立て地あたりで、10kmのトップ集団にごぼう抜きされていく。やっぱり、本物達は速いね〜〜〜。膝は意外と痛くないが、右膝外側下部が痛み出した。いわゆるランナー膝というやつか。数年前の右アキレス腱断裂後のリハビリをサボっていただけに、右足の負担は大きいのだ。ふくらはぎの圧迫はまだ強く、はさみを借りてアンカーを切断した。エアーサロンパスを沿道の人達にやってもらって、意外と快調に与勝の登りに入る。最後尾から出たせいか、あとはほとんど抜くだけである。応援の牛にも圧倒されつつひたすら上る。

上りきって平坦かと思いきや、ゆるい下りと登りの連続なんだね、おきなわマラソンって。第1のアシきり地点18.2kmを2時間28分で通過してしまった。

怪我する前に立てていた最遅予定とほぼ同じである。第2アシきりのかりゆし園前24.4kmちょい前のケンタッキーで、太股のアンカーを切断する。ここのアシきりのことはチェックしてなかったので、娘はのんびり走ってきて3分前で切られたらしい。ということは、どこかで抜いていたんだな。

しかし、本当のつらさはここからだった。池武当あたりからの登りは地獄の始まりだった。少しずつペースが落ちていく。嘉手納基地の第2ゲートから入ると、いかにもアメリカンな土地の使い方が目に入ってくる。応援もそこそこしてくれているが、座り込んだランナーへのチェックは厳しかった。第5ゲートが3番目のアシきり地点31.2kmだ。遠くの方から「あと5分」とか聞こえてくるから、とりあえず全力で走ったら、1分前くらいで無事通過してしまった。

しかし、この時点ですでにテーピング擦れの痛み、右のランナー膝の痛み、両足首の痛みは相当悪化しており、エアーサロンパスでは追いつかなくなっていた。しかも、球陽高校まではひたすら登りである。この時間帯でギリギリ通過した人は、もはやほとんど全員歩いているので、走るスペースもあまりなかった。というか、走る気力も体力もなかった。30kmの壁ってこれだったんだとよく理解できた。痛み止めを依頼していたが、交通渋滞著しくなかなかミート出来ないまま、ライカムを過ぎた。もうこのままでは時間内ゴールは無理に近い。それでも可能な限りの速歩きでびっこびっこ歩く。端慶覧あたりで娘とミートし痛み止めとエアーサロンパスで処置して、しばらく一緒に上る。しかし、石平交差点の交通規制解除にはついに間に合わなかった。後方から「リタイアバスに乗ってください」とアナウンスが聞こえてくる。歩道に上がって進み続けるが、なかなか抜けないしイライラも重なる。高速道路の下をくぐり抜ける頃、最後尾のパトカーが前方に目に入った。パトカーの前は交通規制が生きていて道路が走れていた。

この時点で、おそらく残り4kmほどだと思うが、もう何かみたいに走り出してしまった。痛いとかそういうの通り超えて変な感じ。しばらくは路肩を走り、パトカーを捕まえてからは道路の真ん中をガンガン走る。渡口への下りは当初の予定では歩くつもりだったが、これも全開で駆け下りる。そしてなんと最後のアシきり地点渡口交差点40.3kmを時間内通過してしまった。ここまで来たら絶対ゴールしたい、どうなっても知るもんかって感じになり、ひたすら走る。なんとチームラビットもいるではないか、「あとちょっと」「あとちょっと」を繰り返し、とうとうゴール。タイムは6時間10分50秒!!完走!!

ところが、この後の展開が予想外だった。確かにきつかったし苦しかったのだが、なんとゴール直後から涙が溢れて止まらないのだ。キャップで顔を隠して近くの芝生に寝ころぶ。自分でも信じられないことに、涙が止まらない。というか、嗚咽を我慢するのが精一杯。5分ほどはそうしていただろうか、気を取り直して完走証発行ゲートに入る。ボランティアの高校生の「おつかれさまでした」という言葉に、涙腺を必至でガードして、完走証を受け取ったらすかさず「完走おめでとうございます!!」とメダルを首にかけられた。これでKO二度目の嗚咽タイムの始まりだ。寝ころぶスペースもないため、キャップで顔を覆いひたすら立ちつくすしかなかった。周りは誰も泣いてる人なんかいないのに、あ〜〜〜恥ずかしかった。自分でも信じられん!!

その後、完走証にラミネートをして、びっこびっこ歩いていくと娘が迎えに来てくれた。迎えの車の中で、アイシングしながら事の成り行きを説明していたら、また涙腺がゆるんできて3度目のKO、チョット恥ずかしくても家族なので、まぁ許されるだろうと気持ちを十分涙にしてはき出した。

死力を尽くした感がある大会だった。軽々しく使えない言葉だが、おそらく今までの経験の中では一番苦しかったと思われる。痛みとランナーズハイみたいな状態で、脳内変汁満タンだったに違いない。

後でテーピングを剥がそうとすると、表皮がずる剥けて、手のひらの面積ほどのびらんを形成してしまった。当分はラップ療法のお世話になりそうである。

フルマラソン、感動できますね!!

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