さて、昨年出場した50kmの部門では、余裕のトップだったので、今年は一気にジャンプアップして240kmに挑戦することになった。ツール・ド・宮古島も出たし、ツール・ド・沖縄にも出た。徳之島トライアスロンも完走したし、240kmもいけるでしょ!ってノリでエントリー。

先週出場したNAHAマラソンの疲れが微妙に残ってはいたが、朝6時スタートラインに並んでいた。ゼッケンは105番なのでウエーブスタートにより6時10分スタートとなった。真っ暗な中をライトを点滅させたバイクの集団が名瀬の街を駆け抜けていく。

早速、大熊からのキツイ登りにさしかかる。驚いたことにここで数人の選手がバイクを降りて押して上っていた。作戦なのか体力がないのかよくわからない。とにかく頑張って上る。下りにさしかかる頃には夜も明け気分も晴れてくる。

120番台や150番台のエリート選手がトレインを形成するので、ちょっと混ぜてもらうが、軽い登りですぐちぎられる。この辺が実力差なのである。

笠利方面ではすでに一人旅状態となり淡々と走る。第一エイドは無視してビラに構えた私設エイドに直行。それでもここまで3時間半を要している。おにぎり3個半とコーラを詰め込み、とっとと本茶峠に向かう。すでに、この時点で結構疲れていて、本茶峠を越えてクリーンセンター第一関門107km地点までの細かいアップダウンで相当やられてしまった。今年から制限時間が30分延びて5時間半となっていたが、10時50分に到着。いちおう4時間40分で到着したことになる。

ここから古仁屋までは国道で路面はいいはずだが、すでにかなり疲れている。住用で2カ所ほど補給を兼ねて休憩したが、残り体力はかなり少ないことがわかっていた。網野子峠を必死で登り、古仁屋には制限時間32分前の13時28分に到着。尿意があったのでトイレに行くと激痛とともに10滴ほど出た。

脚も尻もぎりぎりだ。この時点で完走はかなり厳しいことが予想された。それでも頑張れるところまでは頑張るという意気込みだけを持って瀬戸内町を走る。カンツメ峠だけが山場かと思っていたら、そこまでに小さい峠がいくつもあって体力を奪われていく。カンツメ峠も予想より標高があり終わった脚を手で押しながら登りきる。

名柄で補給しつつ倒れていると、タッキーに声をかけられる。ない力を振り絞り名音を目指す。芦検で最後の補給をし死力を尽くして上る。何度もバイクを降りようと思ったが、力を絞り出して頑張る。上りきった峠から見る東シナ海はすでに夕暮れの様相であった。

結局、最終関門210km地点には14分遅れの17時14分に到着。無念のリタイアである。6時10分スタートということを勘案すると4分の差なのである。それでも、ここから名瀬に戻る体力がないことは自分でもはっきりわかっていた。これが今の実力なのである。バイクを車に積み込み、帰路につくと、ゴールを目指す選手達が目につく。来年こそはゴールしたいものだと想いながら、脱力に身を任せていた。

現実的には、尻の痛みがひどくシフトチェンジの振動でさえ我慢できないほどであった。初めての長距離ということもあるのだろうが、体重過多が原因の一つであることは間違いない。右足の痛みについては、アキレス腱断裂後のリハビリがきちんと出来ていないことが課題である。わかっているのに対処できてない自分が情けない。

今後、どのようになっていくのか・・・・

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